そしてジャズボーカルの勉強を始めました。
しかし、東京のジャズクラブに自分の歌を録音した音源を送ろうとした矢先、
26歳の時、ひどい交通事故に遭ってしまいます。
なんと肋骨14箇所の骨折で肺気胸になり、肺に損傷でできた血や水が溜まってしまい、生命の危機でした。
緊急で病室が空いてないため、余命いくばかばかりのガン患者の病棟に入った私は、そこで奇跡の回復と1回目の人生の転機をむかえます。
私の快復とは反対にお亡くなりになった同じ病室の患者さんの死に直面します。
その病棟の患者さんたちは、とても明るく強く、素敵な方達ばかりでした。
私が、初めて自分が生きていく意味を考えた時です。
残念ながら、歌もダンスもスポーツも医師からはもう無理だろうと言われましたが・・・・・
その後、糖尿、脳梗塞、首の骨の変形など併発病が増えていく
母は、病気と更年期により、彼女の頼もしく楽しい人柄が変容していきます。
彼女の事業を助けていた私は、仕事も含めて母と上手くいかなくなり、母との関係が悪化していきました。
同時に私が結婚前提にお付き合いしていた彼ともうまくいかない日々が続き、自分にとって最悪の状況になっていきました。
母と彼に責められ続け、自分に自信もなくなり、怯える日々となっていました。
彼もうつ症状のため変貌していったのです。
自分に限界を感じたとき、突然、1週間ほどで計画、用意をし、ニューヨークへ母も彼も仕事も捨てるように逃げ出してしまいました。
知り合いも頼る人もいない国でしたが、エネルギッシュな町へ行かなければ、
自分を破壊してしまいそうな気持ちになっていました。
ホテルに数日滞在中にステイ先の安い部屋を探し、あこがれのジャズクラブに毎晩通いました。
滞在先のホストには、初対面で「何故君はそんなにビクビクしているんだ?
何におびえているのか?もっと安心してお話してごらん?」と言われ、
やっと探したジャズボーカルの先生にも「ユキはどうして悲しい歌ばかり歌いたがるの?歌はジャズでもブルースでも本当はもっと明るく歌うものなのよ!」と指導していただきました。
その国で私を癒してくれたのは、ボーカルの先生と毎週日曜の朝に通っていた教会に集まる人たちでした。
そして、1冊の本、友人からプレゼントされたアロマテラピーの本でした。
(この時は、まさか自分がアロマセラピストになり、インストラクターになるとは思っていませんでした。)
セラピストに興味を持ち、多人種の集まるニューヨークでいろいろな国の伝統療法マッサージ手技を経験します。
私のスピリットを蘇らせてくれた町、究極のパワースポット、ニューヨークは
その後、自分の立ち止まった時は出かける町となりました。
3ヶ月いっぱいの滞在で帰国した私は、母とも彼とも決別し、美容業を立ち上げます。
1997年、名古屋にアトリエYUKI.、岐阜県にトータルエステYUKIを設立し、現在もよりよいサロンづくりに励んでます。
2002年より病状悪化の母を看護のためひきとり、彼女の老いも手伝っての我侭さに翻弄されながら、再び母子の確執のトラウマに悩まされます。
しかし、2003年に良き伴侶にめぐまれ結婚し、精神的に夫に助けられながら仕事と看護の両立ができました。
サロンにご来店するお客様へのケアを通して自己成長させていただき、また、
主人の人柄の良さに支えられて、少しづつ母へのトラウマが薄れいくころ、
2006年、母は亡くなりました。
かなりのマザーコンプレックスだった自分に気がついた瞬間です。
あんなに憎かった母のことが大好きだった自分に気がついた瞬間です。
これが、人生の2度目の転機です。
自由を手にいれて、さらに何かを求めて勉強をはじめます。
2007年から、何かに引っ張られるように再び、ニューヨークに通いだします。
そこで、まず出会ったのは、「アレクサンダーテクニック」です。
アレクサンダーテクニックとは、習慣化した身体の動きや姿勢、考え方を解放していくテクニックです。
心身の「やりすぎを辞める」練習をすることで本来あるべき感覚を取り戻し、自分自身に対する信頼感を深めます。
「何をする必要があるのか?」ではなく、「何をしてよいのか?」を学ぶことにより嬉しい副作用として、痛みの軽減、精神的安定、日常での美しく逞しい動きや姿勢、専門分野での技術向上が期待できます。
欧米では100年以上の歴史があり、ジュリアード等芸術系大学の必須科目として取り入れられ、またイギリスやスイスでは医療保険がカバーするリハビリとしても用いられ、「動きの再教育」と呼ばれています。
レッスンでは決まった形やエクササイズはありません。
日常の動きを直接使って実際に自分が行っている癖や緊張を見つけ、
教師の手の誘導と共に正しく自然な身体の感覚、動きを意識にいれることで、
身体と心、自分と自然をつないでいきます。
そして、次に出会い勉強したものは、「西洋レイキ」です。
ここから、私はボディ・マインド・スピリチュアルの道を歩みだします。
「レイキ」は日本語の「靈氣(霊気)」から由来しています。
「靈氣」とは宇宙万物を創造している根源である高次元の生命エネルギーを表します。
この「靈氣」を取り入れ活用する技術が「レイキヒーリング(レイキ療法)」です。
もともとレイキは、日本で生まれましたが、臼井先生の高弟の一人だった林忠次郎先生が、日系でハワイ生まれの高田はわよ先生に伝授したことでアメリカに渡り、高田先生が晩年1970年代に入ってからレイキマスターを育成し、没後さらに、アメリカ・カナダ・ヨーロッパ諸国・インド・東南アジア・ロシアなど世界中に爆発的な広がりをみせました。
レイキや一部のヒーリングは各国の医療機関でも活用研究されています。
例えばイギリスでは病院や自然療法所で患者さんに広く行なわれています。
アメリカでも健康保険が適用される事例があるなど、代替医療・補完医療として確立しています。
ハワイやタイなどのリゾート地のホテルやスパなどでレイキヒーリングがメニューになり、一般の方が気軽にセッションを受けられる時代です。
リラクセーション促進法、自然療法や代替補完医療の分野、またスピリチュアル探求と向上に役立つとして広く認知されています。
(西洋レイキ:癒やしと元気回復のために患者にエネルギーを与えると考えられている治療法である。)
そして、辿り着いた「リコネクティブ・ヒーリング」「リコネクション」
という非常にシンプルで、レイキでは感じたことのないほどの強いパワーをもつヒーリングでした!
その時、再び、私の頭の中でリーン・ゴーンというあの鐘が鳴りました。
私が、ヒーリングを受けたときの体験した感じを説明しましょう。
そして現在、プラクティショナーの道を歩み、ヒーリングルームを提供させていただいています。
どうぞ、このヒーリングルームのドアを押し開いてみてください。
心からお待ちしております。
yuki yamaoka
こんにちは、YUKIのHPをご覧頂きありがとうございます。
プラクティショナー(エネルギー・ヒーリングの施術者)の山岡ユキです。
「はじめまして」のご挨拶をさせていただきます。
YUKIヒーリングルームでの私とのマンツーマンの貴重なお時間を費やして頂く上で、いろいろご不安なことも多いと思います。
まずは、山岡のリコネクションに出会うまでの経過や思いを感じて頂けたらと思います。
私は高校卒業後、2度目の父と離婚した母と二人暮らしでした。
それまでの間に自分の中に封印した大きなトラウマがありました。
実の父とは私が3歳の頃、母が離婚し、そして私が小学2年生になった頃、母は再婚しました。
楽しいはずの新生活は長くは続かず、いつしか2度目の父は、母にひどいDVを繰り返していました。
そして私は、学校から帰宅すると、毎日のようにピアノを弾きながら歌を歌って、どのように今の自分から脱皮できるか、みにくいアヒルの子が白鳥に変るのを夢みている少女でした。
家庭環境からなのか、中学生になると、恋にあこがれながらも、男子を口論で攻撃するようなところもある少女でした。
高校1年生になると、いざこざの多い家庭(母は我慢できず、私を残して家を出て行きました。)には帰りたくない毎日で、青年劇団に入ることで自分の居場所を見つけているような日々でした。
継父との二人暮らしは耐えられなく、担任の先生に良い進学大学のお話を頂いても、ただ泣き出してしまう状態の私は、ずっと家庭の悩みをだれにもうちあけられず、とにかく早く自立したく、受講料の安価な保育短大に入学しました。
そしてやっと、継父のもと飛び出し、事業を始めていた母と暮らすことができました。
幼稚園教諭、保育士資格を取得し、卒業後、学生時代から入っていたプロ劇団で芝居の勉強を続けながらも、ある会社に入社します。
しかし、働きすぎた母の早すぎる重度のリュウマチの病気のため、家事手伝いに専念します。
ある日、幼少の時、父と母の影響で聞いていたジャズレコードを思い出し、CDショップに行き、手にとったサラ・ボーン(アメリカの有名なジャズシンガーです。)のCDジャケットを見て、私の頭の中でリーン・ゴーンと鐘が鳴り響きました。「私は歌いたい!」と…